統合に向けて

長篠城城ラマ


2015年旧暦元旦にあたる2/19に友人の二人、古神道家・磯正仁さんと、ディジュリデュ奏者の Knob Nakamuraさんのイベントに参加してきました。
大田区にある実相寺で、祝詞とお経とディジュリデュとネイティブフルートのライブと、これからの時代を生きる叡智を分かちあうトークライブ。
ここでのテーマは自分の中心に戻ること、そして「統合」。


分離の時代から統合の時代へと変化する過渡期にあたる今、特に自分が認めたくない部分をきちんと認めてあげることの重要性を、磯正仁さんは何度も伝えてくれていました。


自分の嫌な部分、認めたくない部分はもちろん自観してもわかるものもありますが、顕在意識でとらえられない部分は必ず目の前の事象や目の前の人からもたらされます。


もう少しわかりやすくいうと、「なんでこの人はこういうことを言うの?」とか「なぜこの人はこんなことをするのだろう?」とかいう現象です。
でも人間は嫌な感情を感じたくないので、そういう状況になったときには、善悪や正しさでその人を裁いてしまうことが多いのですが、そうするとそこにある本質が見えなくなります。


最近は国会の答弁やネット上の討論を見ていると、相手を裁きまくり。言葉じりを捕まえて、非難の応酬。
それは左翼であろうが右翼であろうが主義主張が違うだけでやっていることは本当に同じ。
相手のことを非難しているように見えるが、実際は相手がどうであるかは関係なく、ただ自分の正しさを認めさせたい(認めてもらいたい)だけ、のように見えます。そこからは疲弊だけが生まれ、創造的なことは本当に何も生まないとうのがわかります。


ではなぜ人は戦うのか。
それはその人にとって大切なものを守るために戦う
戦う選択ではなく、自分が裁いている人や現象、だめだと思っている部分を許し統合していきたいと思った時に必要なのが自己信頼だとおもう。


自分が大切に思っているものに執着せずいったん手放してみる。
大切なものをいったん預け、目の前のひとや現象を「許し」「明け渡し」「受け入れる」ということだけをシンプルに行う。
手放したものでもそれが本当に本人にとって必要であれば、かならず戻ってくるから。
そしてそのいやな人やいやな現象を自分の人生の共同創造者として迎えてあげる。
同じ目的のために沢山の異なる存在が集まっていることを理解する。
それが「統合」なのだと思う。


2/19のトーク&ライブでは、最後に祝詞とお経、そしてディジュリデュとネイティブフルートが同じ空間で響きあい、「違うもの」が同じ目的のために響きあい、統合の一つの形を見せてくれました。
その響きあう空間の中で感じたことは、統合は自分ひとりでやるのではなく、分かちあい、仲間の助けや目の前の事象を受け取ることによって進み、目の前の人を自己の一部として受け入れていくこと。それが、今の自分にとって必要なことだと思いました。

トークの中でも、これから春分までによりシンプルに自分の中心に向かうことが大切だという話がありました。
よし、そういう生き方をしよう。


以上です。