全てを受け入れる

平泉寺白山神社本殿


 先日福井県に行きました。歴史おたくで全国の城をめぐり歩いている私にしては、意外にも越前国初入国だったんです。
越前は京都から越(富山、新潟)に抜ける重要な場所で、元々は斯波氏が守護でしたが、守護代の朝倉氏が台頭してきて、戦国時代にはその朝倉氏がその居城である一乗谷に栄華を誇っていました。
その時期には京都を追われた足利義昭が朝倉氏を頼り、一乗谷で匿われていた時期もあり大きな力を持っていたと思われます。朝倉氏滅亡後徳川の時代になっても徳川一門が配置されるなど、地理的に非常に重要な地でありました。
また、霊峰白山を望み豊かな自然と文化(特に宗教文化)が残っている地域でもあります。



さて、福井に来てから、どうしても一人の女性のことが頭から離れませんでした。
というと、ちょっと意味深になりますが、それは、この地福井で亡くなった「お市の方」です。



彼女は織田信長の妹であり、絶世の美女といわれた女性で、最初近江の国(今の滋賀県)の浅井長政の元に嫁ぎました。
いわゆる政略結婚というやつですが、彼女は夫である長政と非常に仲むつまじく、2男3女をもうけました。
しかし、織田・浅井家の断絶により戦いに巻き込まれ夫長政は自害、浅井家は滅亡します。
そのとき長男は捕らえられ殺害、次男は仏門に入れられ、彼女はその後織田家の筆頭家老であった柴田勝家の元に3人の娘をつれて再婚し、朝倉家滅亡後の越前に入ります。
しかしその幸せもつかの間、信長亡き後の跡目争いで羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家の対立で、秀吉に北の庄(福井市)を攻められ、子供である3姉妹を逃がして、自身は勝家と自害します。



時代に流され、愛する子供達を敵に預け、行く末を心配しながら自らの命を絶ったその思いというのはどういうものだったのだろう・・・そんな感情に支配され、気になっていました。



柴田神社という神社が旧北の庄城跡にあるということで行ってみると、勇猛で名をはせた柴田勝家銅像の脇に手を合わせて静かに遠くを見つめているお市の方銅像がありました。
そこの場所で銅像を見ながら静かに物思いにふけっていた時に感じたのは、望でもなく悲観でもなく、恨みでもない。なんとなく彼女の全てを受け入れた覚悟みたいなものが感じられました。
当然、銅像なんで感情はないのですが、なんとなくそんな感じがしました。それは、ひょっとしたらそのときの僕自身の覚悟だったのかもしれませんけどね(笑)



人間はみんな自分の幸せを心から願って生活しているし、誰もが不幸にはなりたくはない。
でも、全てが自分の思うとおりになるわけではない。そういうときに、全てを受け入れるという度量が備わっているか?自分自身に問うてみました。
今この一瞬というのは、全てであるが、その因子はすべて過去にある。
今というのも感じた瞬間すぐに過去になってします。
人はその一瞬一瞬を悔いなく生きるということが、そのときの全てを受け入れる覚悟になるということなんでしょう。


人生は色々ありますが、すべてはその一点に集約されるのかな〜と思っています。


結局のところ3姉妹のうちの長女は秀吉に嫁ぎ、秀頼を生み、次女は徳川秀忠に嫁ぎ後の3代将軍家光を生み、浅井の血を将軍家に残します。何たる執念!(笑)


あと、織田信長(当然お市も)の先祖は北の庄のある越前国の織田剣神社の神官の出と言われているんですよ。その辺りの偶然もも面白いですね!


では!