自分を信じるということ

太秦 大酒神社

台風15号が首都圏を直撃し、電車はとまるわ街路樹が倒れるわ大変でした。
うちの会社は停電にもなりましたし、本当に自然界のエネルギーというのは凄まじいということを感じました。
正直恐怖も感じた人も多かったと思います。



前回の台風12号でも和歌山、奈良、三重を中心に大きな被害を出しました。
実は前回の台風で私がこよなく愛す聖地「熊野」も大きな被害を受け、少なからずショックを受けております。
熊野にはこのブログでも取り上げた聖地熊野で「祈り」を行っている方がいるのですが、彼がそれこそ何十年、そして先代、先々代、さらにその前まで含めると本当に長い間紡いできた9月の御神事が台風12号の被害によって途切れてしまいました。
この出来事が、日本神道での伯家神道の教えが失われたり、守矢家によって伝えられてきた諏訪大社の祀り事が失われてしまったことなどと繋がっているような気がします。一つの時代というか、なにか大きな流れの終焉を意味するものだと思っています。それは何かというのは良く分かりませんが、私の感覚でいうと自分の外側に神を投影していた時代の終焉とでもいいましょうか。



戦国時代、毘沙門天を信仰していた上杉謙信にしろ、不動明王に自らの姿を写させた武田信玄にせよ、昔の人は現在の人に比べると「神」と「人」がかなり近い位置にあったことは間違いありませんが、自分の中に神を見るというよりは外側の神を自分の中に引き入れる、もしくは一体化するというような意味合いが強かったような気がします。
人間一人ひとりが奇跡の存在として、神から分かれた神の一人子としての存在として、自らの神性に気付くときがやってきたような気がします
神とは「奇跡」の存在と考えるとき、私達一人ひとりが「奇跡」の存在なのです。
外側に投影した神様にお願いするというスタイルから、自分達の本当の力を信じ、神から与えられた全てのものを信頼し受け取り、利他のため祈るというスタイルに移るのかもしれません。
つまり、自分を信じるということは、自分に起こった全てのことが自分にとって必要なプロセスであることを受け取り、認めることなのです
私達人間一人ひとりの中に宇宙があり、その宇宙が外側の宇宙と調和し、シンクロしたときに沢山の奇跡が私達に恩恵として降り注ぐのだと私は思っています



テレビでは雨量が50mm/時間を越える雨が降った場合に備えての都市部の排水設備の拡充などを盛んに言っていますが、恐らくそんなことをしても無駄なんでしょうね。我々の想定をさらに上回る雨が降るだけだと思います。
私達人間が、この世界(うつしよ)が結果の世界だと気付き、心の世界が真(原因)の世界だと気付いたときにこの事態を奇跡的に変容させることができるのでしょう。欠乏感からの恐怖や力が支配する世の中から満ち足りた愛から共同創造の世の中になるのです。
それが正しいかどうかは分かりませんが、少なくとも今までのやり方の延長線上に、幸せは無いということは間違いないと思います。
それもこれも、まず自分の意識変革からです。
自分の奇跡を信じ、一歩ずつ進みましょう



それでは、今日はこの辺で。