百聞は一見にしかず

海津城(松代城)


百聞は一見にしかずという諺がある。
諺の中ではかなりメジャー級で、おそらく小学生でも知っている人は多いと思います。


もちろん、我々大人も仕事の上でよく引き合いに出す言葉だと思いますが、意識的に実践しているだろうか。
最近はインターネットやメール、テレビ等により、昔に較べると情報の収集は格段に容易くなった。
そして、最近の情報は画像、映像つきでよりリアルである。
しかし、それは一歩間違えると間違った認識を植えつけることになる危険性があると僕は思う。


話は少し飛びます。
以前僕の史跡めぐりの話をさせて頂きましたが、関が原を歩いたときのことを少し話しましょう。


関が原といえばご存知の通り慶長五年(1600年)9月に徳川家康率いるの東軍と石田三成を中心とした西軍との間に行なわれた、いわゆる天下分け目の合戦であるが、負けた石田三成の後世の評価はあまり良くない。
最近は歴史研究のなかで見直されているのですが、一般的にはやれ官僚なので戦を知らないとか、人望がなかったとか色々言われております。しかし関が原の石田三成が陣取った場所に立つと、このオトコの凄さとか言うのもを思い知らされるのです。

関が原の西軍主力が陣取った場所は岐阜県滋賀県の県境にある伊吹山山麓にあたり、特に石田三成が陣取った場所からの眺めは戦場全体が見渡せる絶好の位置でした。対する徳川家康が陣取った桃配山からは、全体の状況は良く分りません。
西軍主力が陣取った所は全体的に高所になっており、東軍が陣取った場所に向かってはなだらかな下り坂になっています。
つまり、東軍は緒戦においては上りながら攻めなくてはならないのです。
それだけではなく、両側には川が流れていて、東軍の横の動きを封じる絶好の場所に西軍は陣取ったです。


関が原の陣立て図は世間に良く知られていて、いろいろなところで目にしますし、それだけでも西軍の布陣の有利さは認識できますが、現地を見た感じは図面上でみたそれ以上のものを感じました。
私もここを見なければ「戦上手、東海一の弓取りと言われた徳川家康」と「戦音痴の官僚石田三成」という単純な図式で理解をしてしまったかもしれません。


まだまだ関が原の発見はこれだけでは無いのですが、このことだけを取ってみても関が原の現地を見ずして石田三成のことも、また、この不利な布陣での戦いに勝利した徳川家康の凄さも語れないのではないかと思いました。


歴史の話が長くなりましたが、例えばお客様との直接窓口になる「営業」のセクション。日々色々な問題、トラブルと付き合わなくてはならない「製造」のセクション等々、会社組織には色々なセクションがありますが、やはり基本は現場主義だと思います。まさに百聞は一見にしかずを実践しなくてはならないと思います。
インターネットやテレビなどの媒体を通じた「受身」の情報収集や、人づてに聞いた話だけでは、「気づいたり」「感じたり」することは少ないと思います。
現場に行ってみて、実際やってみて「気づいた」こと、「感じたこと」これを仕事に反映させることが非常に大事です。
特に物造りに関しては大事だと思います。


「気づいた」「感じた」分だけ、商売チャンス、改善の可能性があると思います。

トン、パヤヤン、カップ!(しつこいか・・・)