ならぬものはならぬのです

h-ninomiya2007-06-26


「ならぬものはならぬ」この言葉は今風に言うと「だめなものはだめ!」という意味です。

江戸時代の会津藩の藩校で「日新館」というのがありました。会津藩の武士の子は十歳くらいになると「日新館」に入学しますが、会津藩はその前の教育から力をいれていて、六歳位から「什」(じゅう)という組織の仲間に加わります。そこには七か条の掟があり「什の掟」と呼ばれていました。内容は年長者を敬い、嘘をつくことや卑怯なことはしない、弱いものをいじめてはいけないなど、人間が社会生活をするうえで大事なことを叩き込まれます。そして最後に「ならぬものはならぬのです」と締めくくるのです。


理屈ではなく、「だめなものはだめ!」なのです。


会津藩でイメージをするのはあの「白虎隊」でしょう。革新的で進んだイメージの新政府に対して保守的で遅れたイメージのある会津藩ですが、実際は会津藩というのは当時雄藩と呼ばれた大名家のなかでも先進的な考えを持つ藩で、藩士の教育にも早くから取り組んでいました。そして、その藩士たちの教育の場が「日新館」で、そこは武士として身に着けなければならない躾や教養を学ぶ場でした。


薩摩藩長州藩などの明治維新の立役者であった藩はもちろん、明治期に偉人を輩出した藩にはかならずといっても良いくらい藩校があり、子弟の教育を重視していました。
もちろん、会津からも有名な偉人を多く輩出していますし、その礎は「会津魂」といわれている気風を育てた「日新館」の教育でした。
明治維新後日本が飛躍的な発展を遂げた背景には、薩長土肥といわれている藩の他に、江戸時代という時代を通して、日本全国の藩に人材教育、人間教育がきちんと行なわれていたということも見逃してはなりません。
先進的な技術を導入したらすぐに近代化が出来るというのは大間違いで、そこに携わる人間の問題が非常に大きいのです。
日本の近代化とは明治維新以降突然出てきたものではなく、それ以前から緩やかにそして確実に日本人のなかで十分な下地は出来ていたと私は考えます。


これを会社に例えると「経営理念」「経営方針」「スローガン」といったものや、それを通じた社員教育といったところでしょうか。会社においても従業員の気風造りは大変重要だと思います。会社社会においても、社会人として守らなければならないものがありますし、その前に人間として守らなければならない「品格」もあるでしょう。


最近話題になっている食品会社の偽装肉の問題でも、色々言い訳というか、大変なこともあったのでしょう。また、頻発している様々な社会問題もありますが、「ならぬものはならぬ」と言ってくれる人が回りにいなかったのかと残念に思います。
最近の日本は幼稚な社会、目先だけを追いかける社会になってしまっている気がします。「だめなものはだめ!」と諌めてくれる「大人」が存在しないといけないのではないでしょうか。


この言葉は今の社会で見直されていい言葉だと思いますが、皆さんはどう思いますか?