世界遺産熊野

熊野本宮旧本殿跡



 先週末、世界遺産に認定された熊野に行く機会に恵まれました。
東京から名古屋まで新幹線で1時間半くらいですが、そこから新宮駅まではなんと3時間以上もかかるのです。
まさしく陸の孤島という感じでしたが、それゆえに自然が守られてきたのでしょう。


一言で「世界遺産熊野」といってもその領域は広く、熊野三山熊野本宮大社熊野那智大社、熊野速玉大社)とその周辺の自然や建物の総称になります。
とにかく全てを回るには、何日もかけないと回れないくらい広いんです。


熊野に行って感じることは、自然との調和、一体感です。
熊野周辺の地形は山があり、川があり、海があり、神社仏閣があり、日本の原風景を感じることが出来ます。
そして、その自然から豊受する食べ物の美味しいこと。
感動でした。


今回の訪問で、熊野本宮大社宮司さんのお話を聞かせて頂く機会があったのですが、お話によると、熊野大社は神社であるけれども、もともとは神仏習合というか、いろいろなものを受け入れるという懐の深さを併せ持っている神社だということをお聞きしました。
私はお話を聞いていて、日本の神社(神道)の考えが基本的には多神教八百万の神)ですが、熊野という地はそれを越えて仏様も受け入れる土壌があるし、究極的にはイスラム教であろうとキリスト教であろうと、「祈り」に対する垣根がないのではないかという風に感じました。
また、昨今の環境問題や人種差別、戦争などの地球上の諸問題がありますが、熊野から発信する「祈り」によって、人々の意識を変えていくきっかけになればいいとおっしゃっていたことに感銘を受けましたし、熊野が世界遺産になっている意義というのも認識致しました。


世界遺産になったことによって、日本はもとより、外国からも沢山の方が熊野を訪れ、この自然との一体感、自然の恵みの大切さ、熊野信仰の懐の深さに触れて、人々の意識が変っていけば、本当にすばらしいことですね。

 もうひと方、熊野山々を自ら歩き研究し、「祈り」を30年続けている方ともご一緒させて頂く機会もございました。
その方がおっしゃっていたことで、とても印象的だったのは、地球環境は人間の意識が変れば変るし、物事は人々(人間)がこういう風になってほしい、なりたいという方向に行くのだということをおっしゃっていて、私がブログで書いていたことと非常に近いことをお話されたので、これは一つの真理なのだと確信いたしました。

すぐには形に現れない地道なことを、自分の信念に基づいて、努力され続けているていることに、本当に尊敬の念を抱きましたし、その方も熊野大社宮司さんと同じように、この熊野の地で皆がこの地球の自然に対して「祈り」を捧げることが、ひいては世界が平和に向かう、地球を救うことになると言うことをおっしゃっていました。
熊野の地に立つと、それがただの綺麗事だけではないという、「何か」を感じることが出来ます。


今回の熊野訪問は、自然の大切さを改めて実感し、自然と人間の共存がいかに大切であるかということを改めて考えさせて頂く非常にいい機会でした。
自然へのいたわりは、すなわち他人に対するやさしさになります。
そして、共存共栄の考え方に繋がります。


皆さんも是非一度熊野を訪れてみてください。
そして「何か」を感じ取ってください。


えっ、なに?安倍首相辞任!?
この話題は、次回ということで・・・・