沢尻エリカは大人か?

那智の滝



ちょっと今回は浮いた話題。

最近は、女優の名前とか全然わからなくなってきたんだけれど、朝のワイドショーで「沢尻エリカ」という女優が悪態ついて、HP上で謝罪をしたというのが放送されていた。

その問題となった映画の会見も見たんだけれど、凄い不機嫌だね。完全に仕事ということ忘れてますね(笑)
すでに二十歳を超えて、社会的には大人と認められる年齢ではあるが、


「あえて言おう、ガキであると!」


んー、なんだかギレンっぽくなってしまった。私もアニメっ子だな〜(笑)


ところで、現在日本では二十歳になると「成人式」を迎えて、「これからは大人だ!」ということになるのですが、自分自身成人式で「大人」になった実感があまりない。
というか、恥ずかしながら二十歳の成人式の最中は大学入試の直前(二浪中)で、ある意味後がない状態でしたので、成人式だと浮かれていられなかったのも事実。
ようやく受かった大学でも、学費は親に出してもらってるし、自立なんて夢のまた夢。
一体なにをもって「大人」なのか考えた時期もありました。

昔は「元服」という「大人」になる儀式があったのですが、それが皆若いこと若いこと。
有名なところで見てみると、武田信玄は15歳、上杉謙信は13歳、織田信長なんかは12歳なんですよ。
まだ、ハナタレですね。


でも、「成人式」にしろ「元服」にしろ、ここの時点からその人が大人になるというよりも、その時点から「大人の社会のルール」が適用されるということなんでしょうね。
ホントの話し、大人になってきたな〜という実感が湧いたのはつい最近、30代後半戦に突入してからのことです。


つまり、現在ある人間の姿というのは歴史と同じで、過去からの不断の連続の「結果」であって、それまでの積み重ねが人間の「姿」を造るのです。
つまり、人間(人格)は一朝一夕にはできないし、人間が尊敬される為には、ある程度一人前と認められるためには、色々な経験を沢山積まなくてはならないんでしょうね。
そして、前にも少し書きましたが、その経験は自分の魂が「気づく」という現象がないと、だめなんでしょう。

ですから、日々精進しつづけないといけないな〜と思う今日この頃・・・ちょっとオヤジくさいか・・


話しを元に戻すと、沢尻エリカは今回の事柄を通して、何に「気づいた」か。
文面を見る限り、もしそれが彼女の言葉であるなら、彼女は「大人」としての階段を一歩歩んだような気がします。
まぁ、欲を言えばきちんと会見開くべきなんだろうけどね。


沢尻エリカ!まぁ、頑張れ!」(前回とかぶった!)