桃にまつわる話

椿神社本殿



本日は3月3日のひな祭り、つまり桃の節句です。
いつごろからひな祭りが行なわれていたかはハッキリしないようですが、すでに平安時代には貴族たちの間で「雛あそび」つまりお人形さんごっこが行われていたようで、それが時代を下って江戸時代には庶民の間でも広がり、行事として執り行われるようになったそうです。


昔は旧暦でしたので、現在の新暦で言うと約一ヶ月先の4月の頭にお祝いしていました。4月の頭はちょうど桃の花が咲く頃なので桃の節句と言うらしいです。


実際桃の花というのは、非常に美しい花です。
ほぼ同時に咲く桜は、日本の代名詞となるくらいその美しさは有名ですが、桃も負けてはいないと思います。
私は4月になるとよく山梨県に旅行に行きます。
山梨は桃の名産地で、4月の上旬の甲府盆地は桃の花があちらこちらで咲き、盆地全体が桃色で埋め尽くされます。正に桃源郷さながらの景色が楽しめます。


このように桃は見ても美しいですが、収穫の時期には味でも楽しむことが出来ますよね。
私は桃は大好きな果物の一つです。とても美味しいですよね。


桃は古来より魔よけの果物と言われております。
神話の話ですが、日本を御造りになったという「イザナギ」が「イザナミ」に会いに黄泉の国に行って、覗いてはいけないというイザナミの言葉を守らずに変わり果てたイザナミの姿を見てしまい、それに怒ったイザナミイザナギに追っ手を差し出しますが、イザナギはそれを桃を投げてで退治したといわれております。


また、天下分け目の関が原の合戦で徳川家康が本陣を敷いたという「桃配山」は、天智天皇がなくなられた後の後継者をめぐる「壬申の乱」で後の天武天皇になる「大海皇子」が戦勝を祈願して兵士に桃を配ったという故事から来ているといい、いずれにしても縁起のよい食べ物なんですね


桃の節句にちなんで、桃に関係のある話でした。


ちなみに、壬申の乱でも関が原の合戦でも東軍といわれている方(徳川家康、大海皇子)が勝っております。
神武天皇の東征においても、神武天皇は一度東(熊野)に行き、そこからヤマトに対して勝利したといいます。
つまり東から西に攻めるのが吉事ということになりますかね。


こういうのも調べてみると面白そう・・・・


では。