居酒屋タクシーと本多正信

信州松本城天守



居酒屋タクシーって言葉が最近はやっているらしいけど、皆さんこの言葉、というよりこういう現象知ってました?
恥ずかしながら私は全然知りませんでした!
っていうか、前回のブログで「ちょっとした気持ち」として逆にタクシーの運転手さんに、こちらからお金を(本当に小額ですが)渡していたくらいなんですから!



でも、そういうタクシーの運転手がお客をもてなす?行為は役所だけではなく、大手企業なんかもあるらしいのですが、問題は役所はわれわれの税金をつかっているということですよね



企業はタクシー代があったとしても、それはその企業の損益のなかでやればいいことなので問題はないのでしょうが、役所となると話は違います。



私が企業に勤めていたときの話をしますと、私も能力が足りなかったのか、毎日遅くまで残業しました。
また、月次決算の辺りになると泊り込みで仕事をすることも珍しくありませんでしたし、時にはタクシーで家まで帰ったこともありましたが、私はそのタクシー代は自腹で払いましたし、それは当然のことと思っておりました



私は営業職だったこともあったかも知れませんが、タクシー代や飲食代などを多用すれば会社、企業の利益を圧迫するから経費の使い方とその経費がどういう利益を生むかを常に考えていたつもりです



居酒屋タクシーを多用していた役人にはその辺が全く欠如しているのではないでしょうか。
そんなタクシー代を公費で認めてしまっては、「どうせ一杯やりながらタクシーで帰ればいいや」と日中だらだら仕事をしていた人もいたことでしょう。
まぁ、まじめにやっている人も多くいるかもしれませんが、こういう倫理観の無い出来事が多発する以上、贔屓目に見てもそうは思えないというのが実情であると思います。



徳川家康の家臣で本多正信という家臣がおりました。
彼は徳川家臣団の中ではいわゆる文治派といわれた官僚型のエリートで、武で家康を支えた「酒井忠次榊原康政井伊直政本多忠勝」などの武断派とは対極にある人物で、家康を「智」で支えた武将です。
正信は家康の全幅の信頼を受けた側近でありながら、知行はわずか一万石しか受け取らなかった。晩年ようやく家康に折れて知行を増加させたがそれでも二万二千石だった。(正信クラスになると大体普通は10万石前後はもらっていた)
彼には「権力のあるものは禄少なく」というポリシーがあり、常に質素であり自らも法に対して厳格であった。
彼は同僚には嫌われていたが、きちんと筋を通していた。



つまり、何が言いたいかというと、国家の運営に携わるものは、自ら襟を正しその重責を自覚し、それを仕事に反映させなければならない。
役人特権にしがみついて国を堕落させるようなやつらは、許せん!



幕末の美濃厳邑藩出身の佐藤一斎と言う人が記した、「重職と申すは、家国の大事を取り計らうべき職にしてこの重之字を取り失い、軽々しきは悪しく候。」で第一条の書き出しが始まる「重職心得箇条」というものがあるのだが、ぜひこれを頓珍漢な役人にも読んで頂きたいですな。



当然、私も時々目を通して自分のモチベーションを高めておりまする、はい。



ちなみに本多正信は家康没後後を追うように他界する。
その子正純も父に劣らず優秀で二代将軍秀忠の知恵袋として活躍したが、彼は「自分はこれだけ国家(徳川家)のために働いているし、能力があるものは禄を多くもらうのは当然」と、宇都宮で15万石の大封を手にしたとたん、失脚させられ、佐竹藩お預けとなりそのまま不遇の死を遂げる。
彼の墓は秋田県横手市にある横手城の敷地にあり、その訪れる人も少ない寂しい場所でひっそりと眠っている。



歴史から学ぶことは多い。


以上。