誰の所為か

明石城


 新しい期が始まりました。我が社は35期目に突入です。
今日は始業式とか入学式が多かったこともあり、小学校の校門には日の丸が掲げられていたり、昼時のファミリーレストランなんかは、新しいランドセルを背負った、新一年生なった子供のご家族も沢山いました。町中が「ハレ」の舞台で楽しい感じがしましたし、ようやく「春になった」と実感が湧きました。桜の花の開花が早かったので心配していましたが、桜の花たちもこの時期にちょうど見ごろを迎えるように満開を待ってくれました。きっと彼女たちも子供たちが新しい一歩を踏み出す瑞々しい空気を一緒に感じたかったのだろうと思います



 最近はなりを潜めましたが、数年前までは学校の新学期を9月からにしようなんて議論もありましたよね。やはり、この桜の季節、そして新芽が息吹く春がいいですね。人間の感情は自然の移り変わりに大きく関わっています。人間の都合に合わせるのではなく、自然のリズムに従うほうがいいに決まっています。9月始業なんて、日本人として、いや人類として(←物事大きくしすぎ?(笑))断固反対します!



 さて、今日のお題は「誰の所為か」です。企業で仕事をしていると、何かクレームやミスが起こったときには、徹底的に原因追求がなされます。つまり、「誰の所為か」というのが落ち武者の残党狩りのごとく行われます。原因追求自体は正しいことです。結果には必ず原因があり、クレームが起きたのには何らかの原因は間違いなく存在します。しかし、現在の原因追求は「どこの部署の責任か?」とか「誰の責任か?」ということに重きが置かれてしまっているような気がします。
「俺は言った」とか「指示をした」とか「ちゃんとメールを見ていないのか」といった責任のなすり合いが多く見られるのではないでしょうか。そして、少なからず関係はしているものの、自分が主犯格ではなかったら、もしくは作業的には自分の非がなくホッと安心する。ということはありませんか?



 私は今期の経営方針の一つに「自分の目の前に起きた出来事を一つ一つ丁寧に扱う」というのを掲げさせて頂きました。これはどういうことかというと、例えば会社として問題が起きた場合、自分がどこまで絡んでいるかいないかに関わらず、これは全て自分の問題として捉えるべきだということです。一番いけないのは、「関係ない」と切り離すことですが、こういうクレームやミスが起きた場合、人は善悪で判断することが圧倒的に多い。これを善悪の問題で捕らえるからややこしくなります。善悪ではなく、自分にとってどういう問題なのかと言うことを考えてみると良いでしょう。例えば関係者が10人居たとすると、現象は一つの事だとしても10人10通りの問題があり、それぞれ取り扱うべき問題が違うということです。つまりAさんが伝達事項をしっかりやったとしても、伝わらなかった何かがあり、Bさんという受け手も受け取れなかった何かがあり、Cさんが例えば作業ミスを引き起こしたとすると、そこには何かがあるわけです。つまり、問題が目の前に現れたときは、常に自分に引き戻し、自分が今回取った行動でこういう結果(クレームなり問題)に成ってしまったのは、自分がどうすべきだったかを考えればいいことで、受け取り手(相手)は全く関係ありません。つまり、誰の(他人の)所為でもない、ということなんです。自らの行動に責任を持つというのは元来こういうことを言うのであって、他人から非難される事では全くないのです。



 各々が自らの問題に取り組めば、次からは同じクレームは起きません。クレームが繰り替えし起きるのは、関係者の中で「俺は正しい、関係ない」という人が居るからです。実はクレームやミスというのは作業手順なり作業方法が見かけ上は正しかったとしても起きるものなのです。仕事を作業で終わらせないこと、仕事に思いを乗せることです。一番大切なのは、人とのつながりを意識することだと思います。それには職場での人間関係も非常に大事でしょう。常に相手を、人とのパートナーシップを意識しながら仕事をしたらクレームやミスは圧倒的に減ります。相手との絆を切って一人で作業すると、ミスやクレームは増えます。一見面倒くさくて時間も労力もかかる気がしますが、一度クレームやミスが起きたときのことを考えると、意外とこちらのほうが近道だったりします。


 
 クレームに限らず、自分の目の前に起きたことは必ず何らかのメッセージがあります。そしてそのメッセージの多くは人間関係へのメッセージです。前回からしつこいようですが、これからは間違いなく人と人との絆、パートナーシップが大変大切になってきます
特に今年はそのことを強く意識して、小さな気付きがあればそれを実践してみてください。