坂本龍馬

諏訪法師の兜

 唐突ですが、あるイベントで坂本龍馬役をやりました。
何に扮するかは個人に任されているので誰でも良かったのですが、なんとなく坂本龍馬がいいということになり、恐れ多くも龍馬に扮することになりました。
まぁ、有名な方ですのでここで多くを語る必要もないのですが、今回のことがきっかけで色々調べていくと龍馬という人間のスケールの大きさを改めて感じる機会になりました。



 坂本龍馬の功績として有名なものに、薩長同盟があり(諸説ありますが)、これが幕府を倒して明治の近代化に進む一つの原動力となります。龍馬はこの同盟の保証人としての役割を担っており、いかに彼が信頼されていたかを物語るエピソードにもなっています。
 彼の交友関係は実に幅広く、幕臣や勤皇と言う立場にはほとんど拘っていませんでした。それが証拠に以前私のブログでも紹介した勝海舟は龍馬とも親交があり、江戸に居た龍馬の面倒をみていたのは勝でありました。
その勝が西郷を紹介し、薩摩藩とのつながりが出来るといった具合に彼は形に拘ることなく、自分の信じた道を突き進みます



人間は人を見るとき、自分の観念のなかからなかなか抜け出すのが難くて、自分の観念だけで人を判断することがよくあります
例えば、その人が幕臣だとすると、その人本人がどういう人かを見る前に、自分の幕臣という観念をそのひとに投影し、こういう人に違いない、と勝手に人を判断します。
もっと解りやすく、単純に置き換えると「体育会です」という人に、頭まで筋肉で出来ているような人だと判断してしまうようなものです(笑)
それは、行き過ぎだよ〜と言われればそれまでですが、人は多かれ少なかれ、それを無意識のうちにやっていて、自分の観念で相手を判断してしまうことが結構多いのです。
つまり、龍馬の交友関係の広さというのは、そういう観念を外し、当のその人そのものを見る力が大きかったのだということがいえます。



龍馬の言った言葉とされるものを幾つか紹介しますと、
義理などは夢にも思うことなかれ、身を縛らるるものなり
俺は議論はしない、議論に勝っても人の生き方は変えられぬ
という風に、枠を徹底的に外していくいき方でとても自由な感じがします。
「義理なんていらない」なんていっているけど、彼が冷たい人間だったかというと、龍馬の交友関係の広さをみると、それは違うでしょう。
また、「議論をしない」というところは私は非常に感銘を受けたのですが、違う意見の人と接すると、ついつい自分の正当性を主張しようと議論をするときがあります。僕は間違っていない、あなたが間違っているんだと・・でも、それは無意味なことなんですよね。それは突き詰めていくと、自分と同じ考えの人じゃないと、仲間と認めないということになり、その延長線上に戦争という国家間のいざこざが待っているわけです。
どんな意見を持った人でも、自分とは意見の違う人でも、その存在をありのまま認める。
これが、龍馬の懐の深さであり、視野の広さなんだということを改めて受け取りました。



そして、僕が一番好きな言葉を最後に紹介します。
俺は、昨日の俺ならず
龍馬は自分が変わるということは自分が見る世界、つまり自分の外側(相手も含め)の世界も変わるということを魂の底から信じていたんだな、と思います
今、壁にあたって苦しんでいる人、最初の一歩が出ない人、世界は変わらないと諦めている人、相手を疑い信じれなくなった人・・・坂本龍馬に少し触れてみてください。


以上!