偶然の出会い

幣立神社


 少し前のブログでシンクロニシティーの話をしたましたが、最近凄いの二連発があったので、ちょこっと報告します。


 まずは前の会社の元部下と出張先の新幹線の駅でばったり会いました。その彼とは退社後比較的(といっても一年に二回くらい)会ってはいたものの、地元から遠く離れたところでばったり出会ったのには驚きでした。私もお客様を連れていたし、向こうも上司の方のような人が一緒だったので、ろくに話も出来ませんでしたが、実はその前日に偶然その人のことを考えていただけに驚きも増しました。



 もう一つは先日長野に出張に行ったときです。お客様の最寄り駅にはある結構有名な神社がありまして、そこに参拝してから社務所に頼んでタクシーを呼んでもらいました。余談ですが、神社好きの私は出張等で地方に行くときは、可能であれば地元の神社に参拝してからお客様のところに行くという風にしております。
 そこに来たタクシーの運転手さんは、ほぼ一年前になりますが、前回そのお客様を訪ねた際に乗車したタクシーの運転手さんだったのです。最初は自信がなかったので、おそるおそる訪ねましたが、前回案内してもらった神社(先ほどの神社とは別)の話が噛合って、一年前の運転手さんだと分かったのです。
その運転手さんもある程度年配の方で、今は内勤が多くめったに運転手として乗車していないというから、さらに驚きです。神社の神様が引き合わせてくれたのかね〜とにこにこ笑う運転手さんに、いつもやっているようにコーヒー代をほんの心付けとして渡して、次の偶然を祈って分かれました。



 こうして偶然にあった人がたまたま知っている人だから「すごい偶然!」と興奮してしまうのですが、私達が会う人たちというのは知っている人、知っていない人に関わらず、それが道端ですれ違う人でさえ、ひょっとしたら見えない力で引き合わせられているのではないかという感じがしてきました。
ですから、商売をするにしても友達関係にしても、私達が一生のなかで知り合う人というのはそれなりに人生においてかなりの意味があり、それがその人の事を好きとか嫌いとかに関わらず、物凄く貴重な人達なのではないかという風に思えてきました
思えば、私も今まではそんな風には考えずに、あの人は好きだから・・・とか嫌いだから・・とか、あの人の行っていることは正しいだの間違いだの、そういう視点でしか人付き合いをしていなかった気がします。
もっと、こう、なんだろう・・あいてのいいところや嫌なところをあら捜しするためでなく、自分がその人を知り合った意味とか、なにを自分に見せてくれているのかを考えるためにマインドを使うべきだな〜と思いました。



また、そういう人たちがかなりの意味を持っていると仮定すると、親とか兄弟として生まれて出会う人たちというのは本当に物凄い深い縁で結ばれているのだと思います
最近は子供は親を選んで生まれてくるという話も、どうやら本当らしいな・・・と思える今日この頃
僕も選んで生まれてきたんだな〜忘れちゃってるけど(笑)