負けるが勝ち

春日大社


 今朝、用事があって首都高速霞ヶ関ICを降りて国会議事堂の前を通ったのですが、物凄い人だかり!
ん?なんだ?と思ったら、今日は歴史的な政権交代の日でした。
国内外、さまざまな問題が山積して厳しい船出となりそうですが、どういう政治をしてくれるか楽しみですね。
 話は飛びますが、先日もオバマ大統領がリーマンショックから1年経ったコメントを出していますが、そういえばリーマンショックも9月だったんですね。しかし、9.11のテロ(アメリカの自作自演という噂もありますが)や、リーマンショックなど9月というのは、色々大きなことが起きるんでしょうかね。そういえば、関東大震災も9月でしたが、噂の域をでませんが最近はまたまた大地震の可能性がささやかれていますが、どうなんでしょう。



 一方では明るい話題もありまして、イチローは9年連続の200本安打を達成しました。
イチローは本当に凄いね。彼の凄いところは自分をしっかり持っているところだと思います。
今、私も「自分の柱を立てる」ということを意識的に行っております。
言葉で表現するのは非常に難しいですが、このように世間がどんどん闇の状態になっていると、どうしても周りの雰囲気に引きずられやすくなります。私もいつの日からか、自分を殺し他人に合わせることを「和」だと勘違いするようになっていました。
でも、本当の「和」というのは、自分を殺して他を生かすことではなく、みんなが自分の才能をしっかり出して、それが自然とうまくいく状態なんでしょうね。
自分の感覚を信じて自分ををしっかり表現することは、特にこれからの時代とても大事だと思います。


 さて、数々の大記録を打ち立てているイチローですが、彼も当然10打席で10安打というわけではありません。
彼のような天才でも6〜7割は打ち損じているんです。
でもその打ち損じたことは、次のステップに、新しい自分に繋がるんですね。(まぁ、当のイチローは全部打たないと嫌だと思っているかもしれませんけどね)
負けるが勝ち」と昔はよく言ったものですが、今の社会は1度でも負けると、立ち直れないような風潮を生んでいるような気がします。
負けるが勝ち」ではなくて「負けたら終わり」みたいに、負けることが、まるで人生の敗北者になるような雰囲気です。
ですから、失敗や敗北をしないために必死になります。



私自身も、先日サッカー日本代表の試合(確かオランダ戦だったと思う)を見てまして、前半はとてもいい試合だったのですが、後半ポンポンと相手に得点を許してしまったところで、なんとなく試合を見たくなくなりテレビを消してしまいました。
後から振りかえると、自分はまだまだ負ける自分を許していなくて、自分が負けるのを見たくないんだな〜という気付きがありました。
負けても、失敗してもまた次頑張ればいい、失敗しない人生なんて絶対ありえないんです。本来は、人間の成長というか魂の成長にとってはそういうものなんではないかと思います。
 私の尊敬する武田信玄公も勝ちすぎることから来る慢心を諌めており、勝頼も色々な意味で勝ちに執着しすぎたために、武田家は滅亡してしまいましたしね。



昔のことわざには、深い意味があると最近つくづく思うことが多いです。
「負けるが勝ち」というのも小さい頃はよく口げんかで使っていましたが、この言葉もとても深い意味を持つ言葉なのではなかろうかと思いました。
負けてる自分も勝ってる自分も両方自分。
自分を丸ごと好きになりたいですね。



今回政権を奪われてしまった自民党もまた次頑張ってほしいですし、政権をとった民主党も失敗を怖れず頑張ってほしいものです。



以上