空想と現実と真実

平泉寺白山神社龍神池

いやいや、めっきり寒くなりました。
今年の冬は寒いんですかね?
こんな時期に会社のエアコンが突然煙を出して停止!(その後、とりあえず動いてはいますが・・)
相当年代物なので、早いうちに変えようと思っています。
そういや、エコポイントって付くのでしょうか・・・調べてみよう。(←どうやら業務用はつかないらしい)



 さて、私は前回のブログで歴史ミステリーの空想の世界の楽しさを感じていました。
しかし歴史とは、ある一方の視点からみた物語に過ぎません。
基本的には歴史とは権力者もしくは勝者側から見た一方的な物語なのです。
そういえば英語でも歴史のことは「HISTORY」といいます。この文字のなかに物語を表す「STORY」というのが有ることも、これを証明していると思います。
これを理解するのは結構難しいのですが、起きた出来事をどのように取るかで歴史認識というのは変わってしまいます。
これは、人間が善悪や好き嫌い、正しいか間違いかの判断をするところから来ます。



 例えば幕末の話、坂本龍馬西郷隆盛が活躍し、日本を変えていく話は私も子供心にわくわくしましたし、それが当時の日本にとって正しいことだという観念がありました。
でも、反対に新撰組や徳川家も彼らなりの正義は存在し、当時はきっとあいつは悪いやつだとお互いに思いながら戦っていたのではないでしょうか。(連邦vsジオンもそんな感じですね)
考えてみたら、こういう判断をしているのも私の判断であって、当時の坂本龍馬土方歳三の気持ちや考え方なんかは、たとえ今残ってる文献から推測しても彼らの本当の核心部分はわかる由もなく、単なる私の眼からみた空想ということになってしまいます。
同じ出来事を目の前にしてもそれぞれ人により感じ方が違うということは、歴史に真実はないということなんだと思います。



 時代を過去ではなく、今に持ってきてみても、例えば、人づてに聞いた情報は、たとえそれが大親友のものからであっても、それはその人の判断が入った情報ということになります。でも、気が合う友達のいうことであれば、自分もそれを信じてしまうことも多いでしょう。でも、それはきっと真実ではないんだと思います。
つまり、マスメディアを含むどんな情報も真実ではないとうことだと思います。
真実とはなんだろう??と本当にわからなくなってしまいます。
wikiにも「真実は複数あるが事実は一つしかない」なんてかかれていますが、まさに人の数だけ真実が存在する、そんな気がしますし、僕なりの解釈ですが、真実というのは「自分が感じたこと」以外にはないような気がします。
こういう情報をもらって、こういう現実をみて自分がこう感じた・・これは真実です。



 私も歴史マニアなので、例えば邪馬台国の真実は?本能寺の変の真実は?などというのにはめちゃめちゃ惹かれますし、色々本を読み漁って研究(?)しているのですが、きっと本の中には真実は無いんだろうな・・と思っています。
そして、事実や現実というのはただただ受け入れるだけの為にあり、良し悪しを判断する材料ではなく、真実(自分の気持ち)を知る為の材料とでもいうべきでしょうか。
とは、いってもニュース等で繰り広げられている殺人のニュースなんかを見たりするとどうしても判断してします自分もいますが・・・
 ですから、最近は自分の気持ちや感じたことを大切にするようにしていますし、自分が大切にしている以上、相手の感じたことを尊重したいと思っています。
そして、感じたこと(真実)を踏まえて実行するということがどんなに大事かということを感じることが多いです。
最近は色々情報が多すぎて、自分の判断のように思っていても、実は人の判断に乗っかっていることが多いと感じます。こういう時代だからこそ、自分の感性を信じ、真実を生きることが大事だということを心の底から思うようになりました。



うーん、今回はちょっと真面目すぎたかな〜。
自分でも何を書いているか訳がわからなくなりましたので、今日はこの辺で無理やり終わります。
ジークジオン!(なんのこっちゃ)