99%の想い

戸隠神社奥社の瀧


 8月末で我が社の社員が一人退社することになりました。その方は創業以来35年間会社のために尽くしてくれました。そして、私も幼少のころからその方には家族のように愛情をもって接してもらい、目に見える形、目に見えない形で本当にお世話になりました。
 一口に35年といいますが、昭和の高度成長時代からバブル、その後の不況、そしてこの新しい時代の入り口。本当に激動の時代を生きた人だと思います。その間ずっと会社の為にそれこそ身を粉にして働いて頂き、本当に感謝の気持ちで一杯です。どうも有難うございました



 最近こんな話を聞きました。それは、皆で母親の想いを語っていたときに聞いたのですが、私達が子供の頃毎日何気なく食べていた食事。僕達は母親が食事を作ってくれるのが当時は当たり前のこととして思っていましたが、大人になり自分が親になってみると、その愛情に感謝の気持ちが涌いてきます。でも、その差し出された目に見える形の愛情の後ろには、母親の報われなかった沢山の想いがあるというのです
 どういうことかというと、人間は現実に差し出すことが出きることの後ろに、沢山の報われない想い、つまり、もっともっとしてあげたい気持ちがあります。もう少し具体的に表現すると、例えば今、親になにか恩返しをしたいと思う。本当は世界一周にでも連れて行きたいという気持ちがあっても、現実は熱海の一泊旅行かもしれないし、食事に行くだけかもしれない。つまり1%の現実化したものの裏側には99%の報われなかった、もっとしてあげたい気持ちが間違いなくあるというのだ



 確かに自分に置き換えてみても、自分の家族に対することや、社員に対すること、両親に対することなど、全てにおいてもっともっとしてあげたい気持ちがあります。きっと自分の親もそうだったのでしょう。私も両親やいろいろな人から沢山の目に見える愛情を目に見える形として受け取りました。しかし、本当は目に見えるものよりももっともっと大きなものをプレゼントされていたということです
正直泣けました。人からの愛をちっぽけなものにしていた自分を恥ました。
そして間違いなく、今回退社する社員も僕が受け取っていたものよりも、もっともっと大きな愛情や気持ちで接してくれていて、働いてくれていたのだと思います。
そして、これも目に見えないものに沢山のエネルギーが存在するという宇宙の真理であるということも、またまた実感です。
 ひとは、与え受け取る存在、とよく聞きます。でも自分が人に与えているものも、人から与えられているものも、実際はもっともっと大きなものなんですね。


それでは、また。