今という瞬間

荒砥城


 最近は「今を生きる」とか「今が大事」みたいなフレーズを良く聞くようになりましたし、自分自身のブログでもそのようなタイトルで記事を書いた記憶もありますが、そもそも「」というのはどういう定義になっているのだろうか?と、ふと思いました。
」とは8秒間というのを何方かに教えてもらいましたが、言われて見たら8秒くらいだったら、「」と感じるな〜と確かに思います。
ここで納得するのもなんなんで、もうちょっと「」を掘り下げてみました。



 きっかけは前々回のブログの33番目の素数である137に関連した話で、宇宙創生から現在までが137億年というのを書いたことによります。
これはなにかの本で読んだ知識(ニュートンだったかな?)でうる覚えなので、間違った認識をしているかもしれないのですが、宇宙がビックバンから始まったという、いわば我々の常識的な話を検証していくとある矛盾に陥ってしまうという話です。
例えば我々が地球上でみる1光年離れた星(光)は一年前の星(光)の状態を見ているのだというのを僕らは知っています。確か理科の授業で習った気がしますよね。例えば地球を中心として見てそれをどんどん上下左右、球状に拡大していくと137億光年の彼方は、ビックバンという一点に行き着くと思いきや、実はビックバンが球の全円周上に存在してしまうというものです。
記事の内容は忘れてしまいましたが、大筋はそのような話だったような気がします。確かに言われて見たらそうですよね・・こういうの考えていたら頭がおかしくなりそうですが、ミクロとマクロが同一とかいうのはここから来ているのでしょうかね・・。



 ちょっと話が大きくなりすぎたので話を戻すと、要は距離と時間というのが切っても切れない関係にあるということに今更ながら気付くのですが、それを我々に引き戻して当てはめてみると、「」というのは、自分自身の中にしか存在しない!と言う事になるという話です。これも確か何かの本で読んだ知識だと思うのですが、今実感というか、腑に落ちたというか・・・つまり、自分からたとえ2mしか離れていない相手でも、その存在を我々が認識できるのは全て過去の存在であり、今というのは自分自身に流れている時間、そしてもっと厳密に言うと「自分自身が感じている」状態を「今」というのではないだろうか!
ちょっと屁理屈っぽいけど、なんか良く分からないけどすごい!・・・・とここまで書いて、まったっく落としどころがないことに気付き(実は大好きな歴史の話と関連付けようと思っていたが繋がらず)、困ってしまったので(笑)この後のお話は又何か気付いたときに報告します。



中途半端ですみません!
では。