冬至に思うこと

寒田神社

 今日は冬至です。気になってインターネットで調べました。今年の冬至は、しつこいようですが、また22ですね。そして、冬至は24節期のうちの22番目なんだそうです(笑)
そして冬至というのは何日という日で決められているわけではなく、21日から23日まで幅があるそうです。知りませんでした。
冬至というと太陽の出ている時間が一番短くて(厳密に言うと違うらしいが)太陽エネルギーが最小の時ですが、古代においては一年の始まりは冬至だったようで、実はとても大切な日なんですね。



 私達が普段何気なく使っている「暦」というのは、形や基準は違えど昔からあるのですが、昔の人はどうやって色々な天体の法則を発見したのでしょうね。
本当に驚かされます。



 そして、見過ごせないのが神社の配列。
何度がこのブログでも出している話ですが、冬至の日は鹿嶋神宮からみると太陽が日光に落ち、伊勢神宮からみると太陽は元伊勢に落ちる、そして熊野からみると太陽は出雲へ落ちる。
偶然かもしれないですが、面白いですね。
昔から熊野と出雲は繋がっているという話もありますし、二つともスサノオにゆかりの深い土地。
そして、元伊勢と伊勢は、字のごとく繋がりがありアマテラスやトヨウケでも繋がっている。
こう見ていくと鹿島と日光は表面上は繋がりが薄いような気もしますが、きっと何かで繋がっているのでしょうね。



 現代文明の進歩、例えば衛星写真とか地図によって我々は神社がこのような配列になっているということを知ることはできるのだけれど、そこにはどんな意味があるのかとか、これがどういう仕組みになっているかのかまでは知ることができません。
現代人では理解できないなにか大きな仕掛けというか、壮大な計画があると考えるのはちょと行き過ぎている話でしょうか。
おそらく古い神社が建てられている場所は、神社が建てられる前からきっと特別な場所であったように感じます。
ですらか、神社というのはある意味目印の役割をしてるのかもしれませんね。



 冬になり、心底冷える日は本当に太陽の有り難さというのをしみじみ感じます。また、日照り続きのときは雨が降ってくれることがどれだけ有り難いか。
今年は夏は猛暑、冬は今ヨーロッパでは大寒波が来ているといいますので、その両極を経験する年なのかも知れません。
このような異常気象を目の当たりにしたり、病気になったりして健康であることの大事さを感じたりすると、普段なにげなく暮らしているのこの営み、生かされていることが本当に素晴らしいことであること、そして奇跡とは実は自分の身の回りに常に存在していたのだということに気付かされます。



 そして、生かされているこの命、人と人との繋がりを通して自分を見つめ、今まで自分に起きたどんな過去もそれが紡がれていく先の未来も、全ての自分を丸ごと受け取り、感謝し、信じて行きたいということを、この冬至という時期に思いました。



 街では「年末ジャンボ宝くじ、一等3億円」という看板が多く見られますが、僕達は宝くじの一等が当たる確率なんかよりも、はるかに奇跡的な確率で命を頂いている、存在自体が奇跡の存在なですね。
とはいっても、3億円の宝くじに興味がないのかといえば大有りで、しっかり今年も買ってます(笑)
今年も残り少なくなってきましたが、今日はゆず湯に入り、かぼちゃを食べて風邪などひかぬよう気をつけましょう。



*昨日の皆既月蝕は雨で見れず残念でした!!