夢のまた夢

ひふみ

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。


みなさんは、初夢に何を見ましたか?
私は年明けに何か夢を見たような記憶はあるのですが、何を見たか忘れてしまい良く覚えていません(笑)
去年「22を越えてゆけ」にはまり、今年から夢日記でもつけようと思っていますがいまだ白紙のままです(笑)
 正月明けにインセプションという映画のビデオを見る機会があったのですが、これも夢に纏わる話の映画で、とても面白かったです。
ディカプリオと渡辺謙が出ていて少し前に話題になっていた映画で、見る機会もなく内容も良く知らなかったのですが、なんとなく気になって見てみると私が今研究中(?)の「夢」と「自分の潜在意識」の関係にフォーカスした映画でした。



潜在意識が自分の人生に与える影響の大きさというのは実はとても大きかったりするのですが、それは意識全体の20%ほどを占めると言われています。
実際に我々が認識してる顕在意識はじゃあどのくらい占めているのかというと、ほんの数パーセントだそうです。
ということは、我々は殆ど知らないということ、つまり知っていると思ってる自分のことでさえも実は殆ど判っていないといえるのではないでしょうか。



意識の中で一番大きなものは「無意識層」だそうで、これは意識全体の70%を占めているそうです。
この無意識と潜在意識、そして顕在意識の割合は地球上の大気の成分(窒素と酸素と二酸化炭素の割合)であったり、宇宙の構成(無と暗黒物質と銀河)であったり、色々なものとホロンの関係にあり、全てが繋がっているな〜という感じですかね。



この作品では、人の夢のなかの潜在意識に入り込んでいくというストーリーで、ディカプリオが演じる主人公は現実か夢かの区別がつかない夢を作り、相手をその世界に誘い込み、その夢の中でその人の潜在意識から情報を抜き取ったり、逆に情報を植えつけたりしますが、夢の中へそしてさらにその奥の層の夢へ入ってく展開は「夢の中へ行ってみたいと思いませんか〜」という井上陽水の歌が頭の中を駆け巡ります。



さてさて、我々が現実と思っている世界が実は仮想現実だという設定は、キアヌリーブスが主演のマトリックスでも見られますが、このような映画を見ていると、実は夢が現実で、我々が現実と思っているのが実は夢なのではないかという話になるのですが、この手の映画で私が一番最初に感銘を受けた映画は、「うる星やつら2・ビューティフルドリーマー」です。(すみません、アニメです)



最近の人はうる星やつらを知らない人もいるかもしれませんが、これは「うるぼしやつら」ではなく「うるせいやつら」と読みます。うる星やつらのハチャメチャな展開は大好きでしたが、この映画はそのハチャメチャさの中にも何か深いメッセージがありました。
劇中で「夢邪鬼」というキャラクターが「今自分たちが現実だと思っているこの世界が夢でないという保証はどこにもない」というような台詞を言ったのですが、当時多分高校生であった僕の心がざわついたというか、その言葉の重みを感じました。その時の心のざわめきがなければ「22を越えてゆけ」にも出会わなかったかもしれませんね。



また、この「うる星やつら2・ビューティフルドリーマー」の監督である「押井守」は後にマトリックスの監督が影響を受けたといわれている攻殻機動隊の監督であり、このあたりにも繋がりというか一連の流れを感じます。



インセプションでは、夢や潜在意識の力というものがクローズアップされているのですが、ここでも目に見えない世界や意識の重要性というものに着目しているのは、時代の流れなのでしょうかね。
とはいっても潜在意識というのは「潜在」ですから、まだ存在が確認されているもの。宇宙で言うと眼に見えないけれど存在が確認されている暗黒物質
これからはそれよりもさらに見えない、そして意識のなかでもっとも大きな割合を占める「無意識の世界」の扉が開かれようとしているのかもしれません。
宇宙は「無」から生まれたといわれていて、「無」というものには大いなる可能性が含まれているということになります。
無」はなにもないようにみえて全てがある、と(得意の)ニュートンにも書かれておりました。
夢もきっと宇宙と一緒で「無」から生まれてるのでしょうね。



豊臣秀吉が死に際に「つゆとおち つゆと消えにし わが身かな なにわのこともゆみのまたゆめ」と辞世の句を読みましたが、秀吉はいつから天下統一の夢を見たのでしょうか。
秀吉が見たのか、何かによって見せられたのかは分かりませんが、私も今年も自らの夢に向かって、大いに進んで行きたいと思います



以上