ひっくりかえる

貫前神社鎮守の杜


実は去年の年末に群馬県のお客様のところに年末のご挨拶に行った際、上野国一宮、貫前神社に寄ってきました。
この貫前神社、信州の小諸城のごとく総門を潜り神域に入ると階段を下っていきます。つまり、入り口よりも低い位置に御神殿があるという珍しい作りの神社です。社伝によると現在の神社の少し北東方向にある安中市鷺宮に西暦531年に物部系の磯部氏が経津主神を祀ったのがこの神社の起こりと言われていて、祭神はその経津主神姫大神。とくにこの神社の裏にある鎮守の杜は素晴らしいのですが、この神社で金色のかえるの置物が、縁起物で売っていました。
神社的には、交通安全、無事帰る、見たいな意味があるのでしょうが、私はそのとき来年は(つまり今年です)きっと世の中がひっくりかえるのだろうと直感的に思いました。



そんな体験があって、今年初めの会社の年始の挨拶にも「ひっくりかえる」については話しましたし、4月の新しい期の始まりにもしつこいようですが伝えました。そして、「ひっくりかえる」のは「世の中がひっくりかえる」のではなくて、我々自らが「ひっくりかえる」のだということを強調しました。つまり我々自身が「新しい価値観で生きる」ということです。
すでに外側の意識の投影された世界においても、2011年年明けから中東での民主化の動きや、日本における東日本大震災とその後の国民の意識の変化はそれを証明している感じもします。
そのような折、あるサイトでフリーエネルギーの存在を目にして、ますます私達が常識だと思っていたこと全てが嘘だった、単なる思い込みだったということを確信しました。
フリーエネルギーに関しては話としては聞いたことがあっても、実際それが動いているのを見たのは初めてでした。
まだインターネットで見ただけで、実際体験しているわけではないし、そもそもフリーエネルギーという言葉が当てはまるかどうか分からないにしても、私達が今まで常識だと思っていたこと、こうしなければ人類は救えない、助からないと思っていたことが実際はそうではない可能性があること、エネルギーを奪い合わなくても存分に分かち合うことができる可能性があるということは、とても大きな喜びであり、発見でした
(なんかこの記事を書いている間、ずっと爆風スランプの「全部嘘さ」がぐるぐる回ってます。)



今まで人類は石油や石炭を初め、原子力もそうですが、エネルギー資源をどのように集めるかということで戦ってきました。限り在る資源を奪い合ってきたのです。
そして、実際のエネルギー源を奪い合うだけではなく、人と人との間においても、「権力闘争」という形で自分に枯渇したエネルギーを他人から奪うことによって、自分を満足させていました。つまり、自分が勝てば、相手が負けるという仕組みです。
しかし、全員が勝つことができるかもしれない、ということを感じ始めています。
全員で勝つためには、全ての意見を排除せず、否定せず、一つ一つ積み重ねていく、するとそれが創造に繋がることを、私も会社でのある体験を通して確信しました。
全員が勝つことが創造であり、創造とは間違いなく全員が勝つことなのだと。



私も実はここ数日、久々に体調を崩しました。鼻かぜ喉かぜから副鼻腔炎を誘発し、頭痛と体調不良が続きました。ようやく峠は越えたようですが、これも新しい時代への見えない部分での峠を越えている感覚があります。
今日はしかも日本神道で言うところの夏の大祓い。先ほどからここ横浜でも雷を伴った土砂降りの雨。
これからの新しい時代に不要なものは、稲光で照らしこの雨で洗い流すかのごとく一切手放して行きたいものです。
私達個人個人がどんどん今までの常識や観念をひっくり返していたら、そのうち世界がひっくりかえっちゃうんですね、きっと。
新しい時代がすぐそこまできちょります!!(今気付いたのですが、前回のブログの内容、世転びと内容的につながってましたね・・)



今日はこの辺で。
有難うございました。