大丈夫じゃなかった牛肉と137の関連性

有鹿神社


前回は「大丈夫だ〜」というタイトルでしたが、今回汚染牛が出回り、「大丈夫じゃかなった〜」という展開になってしまいました。
しかし、原発事故が起きたときに食品に関しては全てチェックしようなんて動きもあったのですが、結局は「生産者を守るため」ということで、なあなあになってしまいましたよね。これも「大丈夫じゃないかもしれない」のに「大丈夫」にしてしまったつけが回ってきたというところでしょうか。
結局全頭検査することになるんだったら最初っからやっておけばよかったのではないのかな?と思うのは私だけなのでしょうか。



そもそも、唯一の被爆国で核アレルギーとも言われた我々日本人が、なぜこんなにも核の怖さを軽視しているのかも疑問がありますし、チェリノブイリの件も教訓にするというよりは、都合のよいところだけを比較して、福島は大丈夫という根拠に使われてしまったような気がしますね。
実は今回の原発事故の後、被曝した乳牛や肉牛は処分されずに他の県や地域に移動したといいます。本来は処分されなければいけないものが、処分されずに人間への汚染拡大の一翼を担ってしまったのでした。
しかしテレビ等で出ていた酪農家の人は牛を本当にわが子のように大切にしているし、わが子のように一生懸命育てた牛を手にかけるなんていうのはとても忍びないという気持ちは分からないでもありませんが、チェリノブイリにおいても、子供達が汚染された牛乳をなにも知らずに取ったことによって、健康被害(ガン等)になった事例もあり、本当にそれが最善の行動であったのかは今でも疑問が残るところであります。
実際チェリノブイリの後のヨーロッパでも処分する国と処分しない国とがあったらしいですが、処分しなかった国はきちんと対策を立て、追跡調査もおこなっていて、市場に出回らない仕組みを作っているようです。



でも、よくよく考えてみたら今回の騒動は肉牛が食べていた藁の汚染が大元だということで、汚染地域の野菜等を食べている人間にも同じことがおきているのではないか・・と思ってしまいますね。
とにかく、大丈夫、大丈夫を連発する割りに「大丈夫じゃない」事実がどんどん出てくるという構図は、もう数ヶ月ずーーーーーーっと変わっていませんね。
本当に悲しいことですが、日本人は目先(とくにお金)のことしか考えられなくなっているのでしょうか。
私は日本人がそんなに浅はかだとは思えないのですが、このどう考えてもおかしい一連の動きが、私的にはなにか大きな意識によって動かされているとしか思えません



そこで注目したいのが今回問題となってニュース等で私達が目にするセシウム137の137という数字。どこかで見たことありますね。
そう、これは2010年10月20日の私のブログ「チリと33と数字の不思議」にも出てきた33の意識に関連のある数字です。
137という数字は33番目の素数で、宇宙の誕生から現在までの137億年という数字にも繋がります。
つまり、もっと大きな視点で見ると、人類の意識の進化にとって必要な出来事が起きているのかもしれない、ということなのではないでしょうか。つまり、順調なのかもしれません。
まぁ、あくまで仮定の話ですけどね。



では、今日はこの辺で。