枠を超えるということ

長篠城大土塁より帯郭を望む


最近、自分の枠を感じています
もちろん、自分自身がなにか感じてる壁であったり、葛藤であったりするのですが、そういう時は特にそういう人(そのように見える人)が目の前に現れたりするはうまくできているというか、不思議ですね〜。
人間は自分では自分のことがわからないから、鏡としての「目の前の人」が必要なんですね。神社で鏡があるのもそういう意味なのかもしれません
でも枠を感じる時というのは、次のステップに行くチャンスと教わりました。
自分が扱う領域がどんどん大きくなって今までの枠では収まらなくなって次の枠にいく、そしてさらに成長すると次の枠にぶつかる。
つまりなにか窮屈になるのは順調なことなのですね。
でもこの時に何度も何度も繰り返しているような感覚になったら、それは今までのやり方を手放すというサインなのかもしれません。
枠を超えていくときは、なにか新しい感覚をつかんだようなわくわくした感じがありますが、なにか足りないものを埋め合わせるような、一息つくような感覚であれば、それは枠を超えていないのかもしれません。そして、そのパターンを永遠に繰り返していくのです。いつかよくなる・・・という甘い期待とともに・・



枠を超えるというのは前回のブログ「まずは愛にむかって一歩踏み出す」でいう「観念」の抜け出すとうことと同じことです。
人間は自分の住む世界を決めているといわれていて、違う世界があるということを知らないで生きているひとが多いといいます。いえ、知っていてもその世界を出なければ知らないのと同じです。なぜなら、体験していないと知っていることにはならないからです。
違う世界というのは、次元の違いというか、とらえ方の違いです。
「こうあるべき」とか「こうしなければならない」と思っていると、選択肢に自由が無くなる感じで、そういう時は自分を自由度の低い次元に追いやっているのかもしれません。
自分の心が本当に自由になった時に、高い次元から物事をとらえることができて可能性が格段にアップしていくのかもしれないですね。



どんな自分も許し、どんな相手も許していける。
そんな人間に私はなりたい・・・なんていうと宮沢賢治みたいですが(笑)とにかく観念や枠を感じたら一つ上の次元を意識して、自由な選択ができるようにしていくことが大事だな〜と感じる今日この頃でした。



マヤ歴でいうと今月の26日からが新しい新年になるようで、新しい誕生の前にそういう経験をしているのかもしれません。先日19という数字が気になったのですが、友人から送られてきた19の数字には「太陽」や「新しい出発」という意味があるそうです。とにかく今は2012年。新しい意識の変化の波にどんどん乗って新しい自分にどんどん出会っていきましょう!

今日はこの辺で!


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