日本の土地のエネルギー

長篠中央構造線


今回も前回の「シンクロニシティー3」に続き、長篠紀行文です。
城&神社めぐりが趣味な私ですが、長篠城を初めて訪れたのが今から15年くらい前だったでしょうか。その時は友人と一週間ぶっ続けで有休をとり、各地の城を片っ端から回った時に訪ねました。
その時長篠についたのが夜8時くらいで、今は近くにあるコンビニも当時はなかったと思うのですが、すでにあたりは真っ暗でやむなく現在の長篠城の駐車場の脇、大土塁の正面にテントを張って一夜を過ごしました。・・・と、その話を同行した山田氏に話したところ、「この場所(テントを張った場所)一番やばい場所じゃん」とのこと。当時からチャレンジャーだったんですね〜(笑)



さて、今回山田氏が「何か」を感じ始めたところが日本の中央構造線の境目あたりだったことは山田氏のブログで書いていますが、実はこの長篠城はほぼその中央構造線上に位置する城だったのです。ついでにいうと長篠城跡から西に500m位行った豊川沿いにはまさしく日本の中央構造線が露出している場所があります。
つまり、日本の構造的な境目で、歴史上有名な戦いが行われていたことになり、土地の持つエネルギーと人間の行動や営みが何かしらの関係があるのではないか?と感じていたのです。



実はこれは今回長篠に行くちょっと前から感じていたことでした。城跡復元プロジェクトの原稿を書いていた時に、長篠城の特徴的な地形を感じていたところ、土地の形(つまりエネルギー)というのがここに戦いを発生させた一つの要因のような気がしていたのです
そして同じく長篠に同行したF氏の戊辰戦争の白河戦線の講演を、8/19に聞きにいったのですが、この白河を感じたときにも白河の土地のもつ「境目」としてのエネルギーがここに戦いをもたらしたということにつながったのです
白河とは古くから関のおかれた場所であり、東北と関東の境目です。そして桃山時代には徳川家康の上杉征伐が行われますが、上杉が徳川と決戦を挑もうとした地がこの白河の地であり、さらには戊辰戦争でも大きな戦いがあった場所。



そして、これと似たような場所が関ヶ原で、関ヶ原も古くから「不破の関」という関があり、徳川家康石田三成が戦った天下分け目の合戦はあまりにも有名ですが、この時徳川家康が本陣としたのが「桃配山」。この山の名前の由来が壬申の乱の折、大海人皇子が配下の兵士に桃を配ったことからこの名前が付けられたといいます。
つまり関ヶ原で天下分け目の戦いが一度ならず二度も行われているということがこの土地の持つ地形(エネルギー)の大きさを表しているのだと思います。
現在でも関ヶ原というのは冬になると新幹線がよく雪で徐行運転をする場所であり、間違いなく「境目」なのです。そしてこの「境目」というのはF氏が戦国時代の戦い発生の要因として取り上げる「境目」の城での「後詰決戦」ということにも確実につながっていく話なのだと思います。
ここで初めてなぜ山田氏のブログに「関ヶ原」と「白河」が描かれていたのがが理解できると思います。しかも、地図でみたら、脳梁を中心に結構対象っぽいですね。これもあとでこの地図をみてびっくりしました。



まぁ、つまりですね。日本の土地っていうのは境目がいっぱいあって、地震なんかもその象徴で、日本にはいくつものプレートが来ています。そのひとつひとつがエネルギーであり、私達が顕在意識でどの程度とらえられているかどうかはわからないけれど、私たちの生命活動、創造活動の原動力となっているのです。東日本大震災以降、地震の恐怖というのを私たちがかなり身近に感じるようになりましたが、実はこのエネルギーそのものが日本のエネルギーであり、日本人のエネルギーなのではないでしょうか。



つまりすべて表裏一体。このエネルギーとどうやって自分たちが向き合うか、そこから何を受け取っていけるかということがこれから日本人が覚醒していくためのカギのような気がします。ひょっとすると、地震の「怖い」という感覚。潜在的には自分が劇的に生まれ変わってしまう「怖さ」を感じているのかもしれませんね。
きっと前回のブログの最後の「なんか怖いけど、わくわくしますね」っていうのはそういうことかもしれません。
とにもかくにももう2012年!目の前のすべてを受け取って進み、劇的に変ります!



それでは今日はこの辺で。



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